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回想11

不定期連載w回想11回目。一回目の治療回想の最終回です。
2009年1月下旬。動注4回目終了後は、だるさ吐き気ともひどく、体重も入院時に比べ-15Kg。
放射線治療も終盤に差し掛かり、口のなかの痛み、鼻血がひどい状態。
病院食はほとんど食べることができないほど、食欲は低下していた。

一連の治療が終了に近づき、入院時にあった左目付近の腫れは治まり、平常時と同じ状態にまでなっていた。
痛み止めのせいもあるだろうが、癌の痛みは感じなくなっていた。
代わって、放射線治療のためか、左目が乾燥しているような感じとなり、北海道の寒い寒いこの時期、外気に当たると目を開けていることなど不可能であり、顔の左半分が痺れるような感じであった。
退院も近づきつつあり、痛み止めの麻薬パッチも徐々に減量していっていた。
これがまた辛いというか、なかなかにキツイ・・。
麻薬系だけあって、退薬症状が結構凄く、なんていうかいてもたってもいられないというか、じっとしているのが辛いというか、でもだるくてしょうがなく気持ち悪いみたいな・・・なんか結構凄い感じでした。
麻薬を使用したことはありませんが、禁断症状とかはさぞ凄いんだろうなーと思わされるようなものでした。
退院時の最終のMRI検査を退薬症状と思われる症状の為、受診する事ができなかった(身体を固定されて長時間寝ていることが不可能だった・・・)。

なんやかんやで2月中旬に何とか退院することができ、自宅療養となる。
約3ヶ月の入院・・・やっぱり自宅の方がはるかに精神的には良かったが、退薬症状、放射線&抗癌剤のダメージでほぼ寝室にいるような状態でした。
食欲は以前なく、食事時に口を開けると痛みを感じる状態であった。
なんでかはわからないが、風呂に入ると一連のだるさや、左目の違和感が多少緩和され、一日に何度も入浴したりしていた・・・。
何とか身体を動かし、体調回復にと思い、3月上旬頃に健康なら歩いて7~8分ぐらいの近所のスーパーまで行ってみたが、
何とかたどり着きこそしたものの、そこまで歩くだけで必死であり、脂汗とも冷や汗ともわからぬものが噴出し、本気で帰りはタクシーに乗らないと帰れないと思うほどであった・・(休憩し何とか歩いて帰ったが・・)。
一応、完治したであろうという形で退院したが、体調はなかなか上向くことは無かった。
3月下旬ごろになるとそれでも少しずつではあったが体力の回復を感じつつあったが、それと共に左目の違和感が大きくなり、4月上旬には少し腫れだし、時々痛みもあった。
後遺症的なものだろうと思っていたが、2009年4月中旬よりの再発(というか完治していなかった)につながって行くのでした。

ちなみに私と同じ治療(動注4回、放射線照射70グレイ)で、とりあえず完治しなかった(再発は含まず)人は、主治医の話では、治療を途中で中止したり、規定回数未満で終了したりした人を除くと私以外にはいないという、ええーっ!という不運さ(運とかっていうのは好きではないが)でありました・・・。

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D.まさ

Author:D.まさ
40歳になっちゃった・・。
上顎癌になったのが37の秋、左眼摘出手術をしたのが38の春。
一安心していた39歳の秋に膵臓癌発病。手術不可能で重粒子腺治療。
経過は良好のはずたったが術後一年の2012年1月局所再発。さらなる治療に・・・
頭頸部の動注療法+放射線さらには摘出外科手術。
膵臓癌の重粒子線治療、抗癌剤治療。
病気後の日常、闘病、治療のブログ。
負けねーぞ、まだまだ。

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